メダカは日本に古くから生息する小型の淡水魚で、古くから人々に親しまれてきました。 江戸時代にはすでに観賞魚として飼育されていた記録があり、日本の観賞魚文化の中でも長い歴史を持つ魚です。
現在では品種改良が進み、ラメメダカやヒレ長メダカなど多くの改良品種が誕生しています。 ここではメダカの歴史を江戸時代から現代までわかりやすく紹介します。
メダカの名前の由来
メダカという名前は、目が頭の高い位置にあることから「目高(めだか)」と呼ばれるようになったといわれています。 日本各地で親しまれてきた魚であり、地方名は4680以上あるともいわれています。
これはメダカが日本人の生活に深く関わってきた魚であることを示しています。
江戸時代のメダカ飼育
江戸時代にはすでにメダカを観賞魚として飼育する文化がありました。 当時は水鉢や陶器の容器に砂利を敷き、セキショウなどの水草を植えてメダカを泳がせる観賞方法が楽しまれていました。
水面近くを泳ぐ小さな魚として、庶民の間でも人気がありました。
金魚ブームによるメダカ人気の低下
19世紀になると金魚の養殖や輸入が増え、金魚鉢の普及によって金魚が広く飼育されるようになります。
それまで庶民の観賞魚だったメダカは、華やかな金魚の人気に押され、徐々に観賞魚としての存在感が薄れていきました。
熱帯魚の普及
20世紀に入ると、日本にも熱帯魚が輸入されるようになりました。 1950年代以降は飼育器具の発達や輸入量の増加により、熱帯魚飼育が一般家庭にも広まりました。
この時代にはメダカの観賞魚としての人気は低く、大型魚の餌としてヒメダカが流通する程度でした。
現代のメダカブーム
21世紀に入ると、楊貴妃メダカ、ミユキメダカ、ダルマメダカ、ヒカリメダカなどの改良品種が登場し、再びメダカ人気が高まりました。
その後、ラメメダカやヒレ長メダカなどの新品種が次々と作出され、現在では観賞魚として高い人気を持つ魚となっています。
ニホンメダカの学術的な記録
ニホンメダカは1823年にシーボルトによって世界に紹介されました。 その後1846年にはテミンクとシュレーゲルによって学術書に記載され、学名 Oryzias latipes として分類されました。
現在では研究対象としても重要な魚であり、日本を代表する淡水魚として知られています。

図の上部中央がヒメダカです。
尾ビレが違いますが最も古いヒメダカの図と考えられています。
「梅園魚譜」毛利梅園 画 天保6年(1835年)
